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2008年01月 アーカイブ

2008年01月31日

最強のファーストレディー

マジで怖そうですね。

しかし意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです。


最初のファーストレディー
アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファソンは、1801年の就任時には妻と死別していたため、娘のマーサをファーストレディーとしていた。しかしマーサにも家庭があり、また外交儀礼や社交術が物を言う時代、主婦とファーストレディーの掛け持ちには体力的にも厳しいものがあった。そこでジェファソンは国務長官ジェームズ・マディソンの妻で親しい友人でもあったドリーをもう一人のファーストレディーとしてホワイトハウスに常駐させた。ジェファソンが二期八年で引退を表明すると、その後継に出馬して当選したのがこのマディソンで、彼も大統領を二期八年務めている。

したがってドリー・マディソンは、「親族ではないファーストレディー」(唯一のケース) であり、一人の大統領に対して同時に存在した「二人目のファーストレディー」(唯一のケース) であり、二人の大統領を支えた「二代にわたってのファーストレディー」であり (唯一のケース)、16年間もホワイトハウスを生活の基盤とした「最も長いファーストレディー」(最長不倒記録) となった。

そしてこのドリー・マディソンが「ファーストレディー」という呼称の語源と歴史にも大きな役割も果たしていることは前述の通りである。


20世紀になって世界各地に独裁的長期政権が誕生すると、強烈な個性と政治力を持ったファーストレディーが登場して時に紙面を賑わせた。そうした中には、その人気から政権に多大な安定をもたらした者 (エヴァ・ペロン) や、逆に不人気から国を傾けてしまった者 (イメルダ・マルコス)、自らが大統領になった者 (イサベル・ペロン、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル) や、逮捕されて死刑判決を受けた者 (江青) まで、さまざまなファーストレディーがいた。

では「世界最強の男」といわれるアメリカ大統領の夫人はどうなのかというと、その一貫して控えめな姿勢は意外なほどで、政治に容喙するようなファーストレディーはこれまでほとんど存在しなかった。

唯一の例外がウッドロウ・ウィルソン大統領夫人のイーディスである。第一次世界大戦の戦後処理や国際連盟の設立などに奔走していたウィルソン大統領は、1919年9月25日過労から倒れ、10月2日には脳梗塞を発症して左半身不随と言語障害に陥ってしまった。しかし大統領府は大統領の執務不能という事態を秘匿し、副大統領や議会関係者を一切ホワイトハウスに近づけさせず、以後ウィルソンの任期が終了する1921年3月4日まで、1年5ヵ月の長きに渡ってイーディスがすべての国政を決裁した。こうした事実が明らかになったのは実にウィルソンの死後になってからのことで、これが後の大統領権限継承順位を明文化した憲法修正第25条制定への伏線となった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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